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ウェーバー → シュッツ → バーガー

この記事は知識の整理を目的としたノートです。

たぶん分かりにくいです。

 

◯はじめに

 最も代表的な社会学者の1人であるドイツの社会学者M.ウェーバーは、後に方法論的個人主義と呼ばれる考え方に基づき、理解社会学という立場を主張します。

 ウェーバーはどのようにしてこの立場にたどり着き、また彼の社会学理論はどのような形で後世に受け継がれ、発展していったのか。

 ウェーバー社会学的立場を紹介するとともに、それを受け継いだ社会学者たちの中からA.シュッツとP.L.バーガーを取り上げ、彼らの立場・理論をウェーバーのものとの関連性を踏まえて整理します。


◯M.ウェーバーの理解社会学

 M.ウェーバー(1864-1920)はドイツの社会学者であり、最も代表的かつ著名な社会学者の一人です。

 

 彼は大学で教鞭を振るう傍らで重い神経症に悩まされました。その結果、彼は研究生活から一時離れることとなってしまいましたが、このころから以前までの歴史学的な研究から、「文化科学としての社会科学の認識論的・方法論的な問題」(那須, 1997: 108)への研究に移っていきました。

 

 そうした中で書き上げられたのが彼の論文で最も著名とされる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の”精神”』です。

 ウェーバーは自らの学問的立場を自己省察するとともに、自らが生きてきた西洋近代社会にも問題関心を向けました。彼はこの論文で、西洋における近代資本主義はプロテスタントの世俗内禁欲による合理的な職業労働が生み出した「意図せざる結果」であると論じました。

 

 ここで取り上げたいのは、この研究が歴史や社会現象の動因としての「理念」の重要性を強調した点です。

 ウェーバーは同時期に「理念型」という方法論を編み出しています。これは、

「無限に多様な経験的所与のなかから、一定部分を(~)価値関係的に選択し、それ自体無矛盾的な論理的なコスモスとして構成」(新社会学辞典より)

した概念です。

 これだけだと何が何だか全然分からなくてウケますね。

 つまり、学者の経験と信じる価値に従って、現象や理念を「理念型」として再構成するということなんだと思います。

 

 『プロ倫』ではプロテスタンティズムの倫理という理念を説明するために「価値合理的行為」という理念型が用いられました。これは「行為そのものの価値への信仰によってなされる行為」という意味であり、プロテスタンティズムの倫理をウェーバーなりに再構成した形です。

 

 そして、この「理念型」こそがウェーバー社会学的立場、「理解社会学」のキーワードとなります。

    理解社会学とは、

「集合的カテゴリーを当事者たちの《理解可能な行為》へと還元することによって説明していこうとする」(那須, 1997: 113)

社会学的立場のことです。

 ウェーバーは理念型によって人々の社会的行為を理解しようとしました。これこそが「理解社会学」の第一歩となっています。

 彼は社会現象を人々の社会的行為の集合と捉え、それらの行為の意味・原因を理念型という行為のモデルによって理解することで、その総体である社会現象のメカニズムを解明しようとしました。


◯A.シュッツの現象学的社会学

    上記で述べたウェーバーの立場を批判的に受け継ぎ、発展させたのがA.シュッツ(1899~1959)です。

 

 彼はフッサール現象学ウェーバーの理解社会学に応用する形で「現象学的社会学」という立場の祖となりました。

 

    現象学とはオーストリアの哲学者であるE.フッサール(1859~1938)の示した哲学的立場であり、

「現象とは体験されるもので、体験とは意識であり、意識とは何ものかへの志向性であると考え、これを記述することは、言語の能力ではなく、言語を介して、思惟することだと考える」(今道, 1987: 339)

というものです。

「事象そのものへ」というフッサール自身の掲げた目標にもあるように、記号や言語によってではなく、概念として論理的次元で事物を捉えようとする考え方です。

 フッサールはこの考え方に基づいて「理念化」という概念を編み出しました。これは、人々が過去の体験における事象を、それが反証されない限り未来においても継続または反復するという考え方です。

 

    シュッツは、ウェーバーの理解社会学が行為の「意味」を解明しようとしたことに着目して高く評価するとともに、その「意味」や「行為」をどのように理解すればいいのかという問いに答えきれていないと批判しました。

 そしてその問いへ答えるために現象学的アプローチを用いました。シュッツは上述の「理念化」の概念を用い、人々が日常的世界を自明なものとして捉えているとし、その自明性が「理念化」に基づく世界への「判断停止」に由来するとして、その自明性を帯びた日常的世界を再考するべきだとしました。

 

 例えば、我々は目の前の机の存在をわざわざ疑ったりはしません。それは我々が、その机が以前からそこに存在しており、これからも存在し続けるだろうという「理念化」を行ない、「目の前に机がある」という事象を自明なものとしているからです。

 シュッツの現象学的社会学は、このような

「当たり前として前提されているような事柄の仕組みに取り組む」(山本, 2010: 198=199)

社会学的立場といえます。


◯P.L.バーガーの社会構築主義

    最後に、ウェーバーの理解社会学の一応の着地点としてアメリカの社会学者P.L.バーガー(1929~2017)の理論を紹介します。

 

 彼は理解社会学現象学的社会学に基づいて「社会的現実は意識の一形態である」と主張しました。

 彼はこの主張に基づいてシュッツの現象学的社会学を発展させる形で「社会構築主義」という立場を確立しました。

 私たちは、

「社会的行為を通じてお互いに前提としている現実認識を確かめ合い、それをいわゆる常識として理解するようになる(~)この常識化された認識に基づいた人々の振る舞いは、紛れもない客観的現実として現れ、人々が共有する現実認識を強化していくのである。」(大河原, 2010: 202=203)

 このように、「社会構築主義」とは社会を社会的行為を通じた常識化の結果として捉える考え方のことであり、社会的行為の理解を通じて社会を捉えようとしたウェーバーの立場を発展させたものであることが分かります。


◯まとめ

    以上に述べたように、ウェーバーの理解社会学という立場は、彼の社会科学の方法論的な研究と西洋近代社会への問題関心のなかから確立され、シュッツが現象学的アプローチを取り入れることで発展し、バーガーによる社会構築主義となって社会の捉え方の一つとして実を結びましま。

 このように、社会を個人の行為の総体として捉える方法を方法論的個人主義と言い、これは現在の社会学の大きな流れの一つとなっています。

 言わずもがな、この流れの祖となったウェーバーの功績は、計り知れないですね。

 

意外と書いてて楽しかった。

以上です。


◯参考文献

 

戸谷洋志『Jポップで考える哲学』講談社文庫

 

Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲 (講談社文庫)

Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲 (講談社文庫)

 

 

読んだきっかけ

教育実習に向けて、抽象的な事柄を噛み砕いて説明する手がかりを探してる最中、本屋で見つけて衝動買い

 

あらすじ

Jポップは、しばしば「自分」や「愛」「人生」をテーマとし、その歌詞は、シンプルであるがゆえに我々の胸に響く。一方、複雑な事象の本質を突き止め、露わにして見せようとするのが哲学ならば、両者は、密かに同じ企みを担っているとは言えまいか。Jポップの名曲を題材に誘う、今旬の哲学入門!

 

目次

第1章 自分

「自分らしさ」とは何か?-Mr.Children「名もなき詩

「自分ではないもの」から見える「自分」-ゲスの極み乙女。「私以外私じゃないの」

他者によって知られる「自分」-乃木坂46「君の名は希望

第2章 恋愛

私と他者の共同性ーAI「Story」

失われた共同性ー西野カナ「会いたくて会いたくて」

他者の他者性と向き合うことー宇多田ヒカル誰かの願いが叶うころ

第3章 時間

過去を記憶することーBUMP OF CHICKEN「天体観測」

未来を待つことーaiko「キラキラ」

この瞬間を生きることー東京事変「閃光少女」

第4章 死

絶望による死との直面ーRADWIMPS「おしゃかしゃま

死が照らし出す大切なものー浜崎あゆみ「Dearest」

他者の死を引き受けることーONE OK ROCK「A new one for all,All for the new one」

第5章 人生

日常生活の息苦しさと人生の不確かさー嵐「Believe」

自分の人生を決断することーSEKAI NO OWARI「RPG」

孤独に生きることへの祝福ーいきものがかり「YELL」)

 

感想

ただただ良い本だった。

 

JKとその先生が会話しながらJ-POPの歌詞を哲学的なテーマに沿って掘り下げていく本。

 

誰でも知ってるJ-POPを入り口にしているので取っつきやすいが、章の後半はかなり入り組んだ話をしてたりする。

でも、そういう箇所は作中でJKが疑問として先生にぶつけて、それに対して先生がJ-POPから少し離れた、例え話とかで説明してくれるので何とか理解できる。

逆に、JKが謎の理解力を発揮して噛み砕いて説明してくれたりもする。

 

個人的に恋愛の章は考えさせられた。

著者にとっての「理想の恋愛」みたいなのも感じられて面白い。

穿った見方かもしれないけど、女性が書いたらまた違う切り口になってるかもしれないな、とも思ったりした。

 

ブーバーについては全く知らなかったので興味を持った。社会学で言うとコミュニケーション論っぽい。

本書で取り上げられている『我と汝』はすごく難解らしい。

今度図書館でパラパラしてみようかな。

トム・クルーズ主演「マイノリティ・リポート」

 

 

・概要

マイノリティ・リポート』は、2002年に公開されたアメリカのSF映画。ドリームワークス作品。 フィリップ・K・ディックの短編小説『マイノリティ・リポート』をスティーヴン・スピルバーグ監督が映画化した作品で、トム・クルーズが主演した。 (wikiより)

 

・あらすじ

テクノロジーが進歩した近未来。警察は、殺人犯が殺人を犯す前に逮捕できるようになっていた。ところがある日、この犯罪予知部門に勤める刑事自身が容疑者となってしまう。(Amazon.comより)

 

・感想

Amazonプライムに追加されてたので観た。

結局こういう、ディストピア的・サイバーパンク的な雰囲気が好き。

 

二転三転するストーリー、陰鬱な描写、走るトム・クルーズが素晴らしかった。

あと、トム・クルーズの野球部みたいな髪型が良かった。走りやすそう。

 

犯罪の予知は「プリコグ」という3人の予知能力者を利用して行われていたわけだけど、さすがにあのやり方は酷くないか…?

そもそもあの手法で犯罪予知部門が設立されたこと自体に問題があるのでは…と思ってたら、何とまあ、そういうことだったのかという結末。

 

あと、「え、マイノリティ・リポートなんて無かったんですか…?」みたいな場面が好き。

あーいう絶望的などんでん返しがあると、主人公の次の一手に期待しちゃう。

 

今更この映画の感想垂れ流してる奴、あんまいないだろうな。

細見和之『フランクフルト学派』中公新書

 

 

・読んだきっかけ
 ハーバーマス入門のために

 

・目次

 はじめに
 第一章 社会研究所の創設と初期ホルクハイマーの思想
 第二章 「批判理論」の成立―初期のフロムとホルクハイマー
 第三章 亡命のなかで紡がれた思想―ベンヤミン
 第四章 『啓蒙の弁証法』の世界―ホルクハイマーとアドルノ
 第五章 「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」―アドルノと戦後ドイツ
 第六章 「批判理論」の新たな展開―ハーバーマス
 第七章 未知のフランクフルト学派をもとめて
 おわりに
 フランクフルト学派関連年表

 

・あらすじ 

「ホルクハイマー、アドルノベンヤミン、フロム、マルクーゼ…。1923年に設立された社会研究所に結集した一群の思想家たちを「フランクフルト学派」とよぶ。彼らは反ユダヤ主義と対決し、マルクスフロイトの思想を統合して独自の「批判理論」を構築した。その始まりからナチ台頭後のアメリカ亡命期、戦後ドイツにおける活躍を描き、第二世代ハーバーマスによる新たな展開、さらに多様な歯想像の未来まで展望する。」

 

・感想

ハーバーマス入門のために買ったけど、読んでみたらフロムとベンヤミンが1番アツかった。

予備知識全然無かったけど、文体のおかげかとても読みやすい。

人物毎に代表的な著書やその中でも読みやすいものが簡潔に紹介されている親切設計。

 

詳しい人にとっては当たり前のことなのかもしれないけど、マルクスのマクロな視点にフロイトのミクロな視点を掛け合わせる手法は、「発明だな」と思った。

イデアは何かの組み合わせって言うけど、こういうことなんですね。


哲学・思想中心の学派ではあるが、「社会哲学」を志向した性質上、極めて社会学に似た雰囲気を持っているように感じた。

アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」に現れているような、自己を被害者/加害者両方に捉える批判理論的手法は、特に社会学っぽくて面白い。

 

卒論でハーバーマスをとりあげるので、その面でも第六章はとても参考になった。

『公共性の構造転換』読まなきゃ………

西田亮介『情報武装する政治』角川書店

 

情報武装する政治

情報武装する政治

 

 

・読んだきっかけ

同著者の『メディアと自民党』『政治はなぜわかりにくいのか』が面白かったので、2017年の衆院選を踏まえた論考が気になり、ポチった。


・あらすじ

インターネット登場以降、

さらなる技術革新とその利活用により、

政治家、政党のメッセージは、

よりスマートな形で我々の生活に入り込みつつある。

自民党を中心に各政党の

メディア戦略の実態を解き明かす。

 

・目次

 はじめに

第一章 複雑化する世界と日本の政治

 世界的な「政治のわかりにくさ」

 覆される「政治の常識」

 2017年衆議院選挙

 民進党分裂の末路

 争点にならなかった改憲

第二章 ポスト・トゥルースとは何か

 ポスト・トゥルースとは何か

 インターネットが生んだポスト・トゥルース

 日本でのポスト・トゥルース現象

 イメージ政治と選挙フェス

 SNS活用の流れ

第三章 日本の情報環境とその変容

 爆発的に変わるメディア環境

 各メディアに対する信頼

 既存メディアの縮小

 ネットとジャーナリズム

第四章 情報武装する政治

 政治のメディア活用の歴史

 インターネットと世界の選挙

 日本のネット選挙への道筋

 精緻化するポピュリズム

 最新技術が選挙を動かす

第五章 自民党のメディア戦略

 いち早くネットに対応した自民党

 政治とメディアの「55年体制

 政治がメディアに留保していた時代

 小泉政権で進んだイメージ政治

 メディア戦略の内製化

 民主党の広報の失敗

 メディア戦略が結実した2013年参院選

 自民党の若者向け対応

第六章 主要政党の情報発信の現況

 変わる広報戦略

 主要5政党による広報戦略

 組織力で広報する共産・公明

 耳心地よい情報加工

第七章 理性の政治への道筋

 「集団極化」のなかで

 自民党が進めたイメージ政治

 自民党一強を支えるもの

 理性の政治の条件


・感想

著者のこれまでの論考を総まとめしたという印象。

「イメージ政治」「政治のマーケティング化」に続いて、本書では「政治の情報武装」をテーマにしている。

p.92

「本書冒頭で、政治による社会と生活者に対する働きかけ、なかでも情報を活用するアプローチを「政治の情報武装」と呼ぶと述べた。政治の情報武装は伝統的にはいわゆるプロパガンダと呼ばれるような、偽情報の発言やあらゆるメディアを活用して動員のメッセージを発することであったが、現代においてはアプローチがいっそう科学的になり、民間の戦略と手法が積極的に活用されるようになっている。ここで「科学的」というのは、状況に関連するデータが収集され、整理・分析され、知見を抽出したうえで、アプローチを実施することで、その結果を評価し、また次のアプローチに備えた収集を行うというサイクルを形成している政党もある。」

『メディアと自民党』では、自民党の情報武装を題材にしたということになる。

メディアと自民党 (角川新書)

メディアと自民党 (角川新書)

 

 

本書の6章以降では、他政党(特に共産党公明党)におけるメディア戦略も取り上げられており、とても興味深い。

p.165

「生活者が接触する政治情報は外観に美しく手が加えられ、~甘ったるいものとなっている」「政治上の意図、背景と構図を読み解き、直視したくない、口に含むと苦い情報を生活者に届けなければならないのだが、それは誰か。困難な課題が残る。」

6章はこのように締めくくられている。

一見、研究者・知識人の役割のような気もするが…

著者はどのような存在を想定しているのだろう。

 

ただ、著者はここ数年で多くの本を出版しているためか、特に5章まではこれまでの論考と内容が被っている部分も多い。

様々な視点から政治とメディアについて考察されているが、その反面、本書独自の内容に割いている紙面が少ない。特に6章の各政党における現在の情報発信については、それぞれの政党についてさらに考察してもよかったのでは、と感じた。

 

遠藤薫の「間メディア」とサンスティーンの「集団分極化」を前提とした研究がもっと進んだら色んなことが明らかになりそう。

色んなこと…?

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』光文社古典新訳文庫

 

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

・読んだきっかけ

1984』が面白かったので、同じジャンルの名作をネットで検索

 

・あらすじ

西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代と異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…

 

 ・感想

1984』のディストピアとはまた違って、結構みんな幸せそうでウケた。

世界なんてどうせ個人の認識だし、当人たちが幸せそうだからぶっちゃけ羨ましくもあった。

 

ジョンと「新世界」の人々、その間で揺れ動くバーナード、ヘルムホルツ、レーニナという分かりやすい構造だけど、ハクスリーが提示した問いは単純ではないように思う。

晩年のハクスリーが麻薬やフリーセックスを肯定しているように、「新世界」の良し悪しは即座に断定できるものじゃない。

ハクスリーが提示した「高度功利主義社会」は、ジョンと「新世界」の最大公約数をとろうとしたのかもしれない。

 

バーナードとレーニナの問答が面白い。

pp.131-2

「静かに海を眺めたいんだ。あんな雑音があるんじゃ落ち着いて見ていられない」
「でも、素敵な歌じゃない。それにわたし海なんか見たくないし」
「僕は見たい。海を見ているとまるで…」
バーナードはそこで間を置いて、自分の気持ちを表すのにぴったりな言葉を捜した。「もっと自分らしくなれるような気がする。言っている意味わかるかな。ほかのものの一部になりきっているんじゃなくて、独立独歩でいられるというか。社会という身体の一細胞にすぎないのじゃなくてね。きみはそんな風に感じないか、レーニナ」
だが、レーニナは泣いていた。
「そんなの嫌よ。そんなの嫌」
そう繰り返した。
「それに社会という身体の一細胞でいたくないなんてどうして言えるの。誰もがみんなのために働くんでしょ。ほかの人たちがいなかったら生きていけないのよ。”エプシロンでさえ…”」

p.137

「僕は情熱とはどういうものか知りたい。強烈な感情を持ちたい」
「”個人の思いは社会の重荷”よ」
「社会は少しぐらい重荷を負ってもいいだろう」
バーナード!」

個人↔集団のバランスって難しいね。

 

ジョンやバーナードが「肉体を入り口とした恋愛」をひたすら嫌うのも興味深かった。

p.136

「いっしょにベッドに入る結末じゃないほうがよかった」
バーナードはやや具体的に答えた。
レーニナは驚いた。
「つまり、初めての日にすぐじゃないほうがよかったなと」
「でも、それじゃ何を…?」
バーナードは意味不明で危険なことをあれこれ喋りだした。レーニナは一生懸命心の耳を閉ざそうとしたが、それでもときどき断片的に聴こえてきた。
「…衝動を抑えたらどういう効果があるか試してみたい」
というバーナードの言葉に、レーニナは心の中のスプリングに触れられたような気がした。
「〝今日楽しめることを明日に延ばすな”」
レーニナは重々しく言った。

レーニナの思想は確かに極端だけど、バーナードの意見もそれはそれで極端だと思う。

肉体から始まる関係を真っ向から否定することはできない。

「恋する者が最初に向かうべきは美しい肉体です。美しい肉体に向かったあとは、美しい魂に向かうこと。それによって肉体の美は魂の美よりも些細であることに気づくことができます。その後、美しい魂から「知識」へと向かっていかねばなりません。これこそ正しき恋の道です。この道をたどることによって、美そのものに到達することができるのです。したがって、正しき恋の道は、地上の美しいものを出発点として、この美そのものをめがけて上昇してゆくという過程なのです。」プラトン『饗宴』)

ほらプラトンさんもこう言ってるし。

プラトニックラブはこの後半部分の解釈がキリスト教的に拡大したものらしい。

この小説は極端な意見同士をぶつける実験みたいなものなのかもしれない。

 

 

コロコロコロニャ

というキャラクターを皆さん知っていますか?

 

 

かわいい。

 

見れば分かるんですけど、このキャラクター、ただの喋る猫。

世はキャラクター戦国時代。日々様々な特徴を持ったキャラクターが生まれている。

そんな中、こいつのなんとシンプルなことか。

 

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