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オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』光文社古典新訳文庫

 

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

・読んだきっかけ

1984』が面白かったので、同じジャンルの名作をネットで検索

 

・あらすじ

西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代と異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…

 

 ・感想

1984』のディストピアとはまた違って、結構みんな幸せそうでウケた。

世界なんてどうせ個人の認識だし、当人たちが幸せそうだからぶっちゃけ羨ましくもあった。

 

ジョンと「新世界」の人々、その間で揺れ動くバーナード、ヘルムホルツ、レーニナという分かりやすい構造だけど、ハクスリーが提示した問いは単純ではないように思う。

晩年のハクスリーが麻薬やフリーセックスを肯定しているように、「新世界」の良し悪しは即座に断定できるものじゃない。

ハクスリーが提示した「高度功利主義社会」は、ジョンと「新世界」の最大公約数をとろうとしたのかもしれない。

 

バーナードとレーニナの問答が面白い。

pp.131-2

「静かに海を眺めたいんだ。あんな雑音があるんじゃ落ち着いて見ていられない」
「でも、素敵な歌じゃない。それにわたし海なんか見たくないし」
「僕は見たい。海を見ているとまるで…」
バーナードはそこで間を置いて、自分の気持ちを表すのにぴったりな言葉を捜した。「もっと自分らしくなれるような気がする。言っている意味わかるかな。ほかのものの一部になりきっているんじゃなくて、独立独歩でいられるというか。社会という身体の一細胞にすぎないのじゃなくてね。きみはそんな風に感じないか、レーニナ」
だが、レーニナは泣いていた。
「そんなの嫌よ。そんなの嫌」
そう繰り返した。
「それに社会という身体の一細胞でいたくないなんてどうして言えるの。誰もがみんなのために働くんでしょ。ほかの人たちがいなかったら生きていけないのよ。”エプシロンでさえ…”」

p.137

「僕は情熱とはどういうものか知りたい。強烈な感情を持ちたい」
「”個人の思いは社会の重荷”よ」
「社会は少しぐらい重荷を負ってもいいだろう」
バーナード!」

個人↔集団のバランスって難しいね。

 

ジョンやバーナードが「肉体を入り口とした恋愛」をひたすら嫌うのも興味深かった。

p.136

「いっしょにベッドに入る結末じゃないほうがよかった」
バーナードはやや具体的に答えた。
レーニナは驚いた。
「つまり、初めての日にすぐじゃないほうがよかったなと」
「でも、それじゃ何を…?」
バーナードは意味不明で危険なことをあれこれ喋りだした。レーニナは一生懸命心の耳を閉ざそうとしたが、それでもときどき断片的に聴こえてきた。
「…衝動を抑えたらどういう効果があるか試してみたい」
というバーナードの言葉に、レーニナは心の中のスプリングに触れられたような気がした。
「〝今日楽しめることを明日に延ばすな”」
レーニナは重々しく言った。

レーニナの思想は確かに極端だけど、バーナードの意見もそれはそれで極端だと思う。

肉体から始まる関係を真っ向から否定することはできない。

「恋する者が最初に向かうべきは美しい肉体です。美しい肉体に向かったあとは、美しい魂に向かうこと。それによって肉体の美は魂の美よりも些細であることに気づくことができます。その後、美しい魂から「知識」へと向かっていかねばなりません。これこそ正しき恋の道です。この道をたどることによって、美そのものに到達することができるのです。したがって、正しき恋の道は、地上の美しいものを出発点として、この美そのものをめがけて上昇してゆくという過程なのです。」プラトン『饗宴』)

ほらプラトンさんもこう言ってるし。

プラトニックラブはこの後半部分の解釈がキリスト教的に拡大したものらしい。

この小説は極端な意見同士をぶつける実験みたいなものなのかもしれない。