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日系外国人の自己 ―日系アメリカ人の戦争証言(NHK「戦争証言アーカイブス」より)に関する自己論的考察―

卒論が限界なので、何かヒントはないかと自分が過去に書いたものを読み返してたら、なんか面白いのを見つけたのでブログ用に要約して載せてみました。

 

◯はじめに

終戦後70年を迎え、実際に戦争を体験した人々が世を去るのと同時に、彼・彼女らの体験を後世に残そうとする取り組みが盛んに行われています。

その代表例がNHKがホームページ上で公開している「戦争証言アーカイブス」です。

これは、主に太平洋戦争の真っただ中を生きた人々にインタビューを行い、その映像をインターネット上にアップロードしている取り組みです。

 

僕は教職課程の模擬授業で使うためにそれらをたまに観ていたのだけど、同じ時期に履修していたミクロ社会学の授業で、先生が生徒からの以下のようなコメントを紹介しました。

「私は在日コリアン3世として日本で生まれ育ち、日本にある朝鮮学校に高校まで通っていました。生活母語は日本語ですが、国籍は韓国です。このような混交的なアイデンティティを持つ私は、①小学校から高校まで通った朝鮮学校の友人に見せる自分、②大学でできた友人に見せる自分、③アルバイト先で見せる自分にそれぞれ異なる"国"をあてがい、①では朝鮮人としての自分、③では日本人としての自分、という奇妙な"私"を演じています。」

このコメントに対して先生は、

「国籍や民族に関わるアイデンティティは社会的な状況によってしばしば先鋭に多元化します。これが各人の生活のあり方をどのように組織することになるのか、それ自体が社会学的に切実で重要なテーマだと思います。」

と回答していました。

 

日本生まれ・日本育ちで、旅行でしか海外に出たことがない私は、このコメントに大きな興味・関心を抱きました。

そこで、上記のコメントのケースと似ていて、かつ戦争という状況でその特徴が鮮明に浮かび上がっていると考えられる戦時の日系アメリカ人を分析してみようと思います。

 

私の仮説としては、戦時の日系アメリカ人も上記のコメントにあるような現代の在日コリアンのように形式上の国籍と実際のナショナル・アイデンティティの狭間で揺れ動いていたのではないでしょうか。

アメリカ国籍でも、日系人コミュニティの中での日本式の教育によって醸成された日本人としてのアイデンティティがあったのではないでしょうか。

 

以下では、「戦争証言アーカイブス」の中から日系アメリカ人へのインタビュー(28人分)を抽出し、そこで語られる内容の分析を通して彼・彼女らの自己像を浮かび上がらせ、仮説を検証しようと思います。


◯歴史事項の確認

まずここで、扱う歴史的事項を確認します。

 

日系アメリカ人とは、日本にルーツのあるアメリカ合衆国市民のことで、インタビューを受けている人々の多くは戦前のアメリカ移民の二世であり、アメリカで生まれ、少なくとも幼少期まではアメリカで過ごしています。

 

太平洋戦争は、第二次世界大戦時、大日本帝国の拡大を目的に攻め入る日本と連合国の間で起きた戦争です。

開戦時にアメリカにいた日系アメリカ人は敵性外国人として各地の収容所に強制収容されました。

そこで彼・彼女らは「忠誠登録」という「アメリカ軍に入るか?」「アメリカに忠誠を誓うか?」という質問に答えさせられます。

この二つの質問に「ノー」「ノー」と答えた者は「ノー・ノー・ボーイ」と呼ばれ、さらに危険な敵性外国人としてトゥールレイクの収容所に集められました。


◯事例(証言VTR)の検討

次に、「戦争証言アーカイブス」に掲載されている日系アメリカ人28人分の証言VTRを分析します。

(※本記事では簡単な分類結果だけ記します。)

 

まず、彼・彼女らを「戦時にどちらの国にいたか」「日本式の教育を受けたか」「ナショナル・アイデンティティはどちらにあったか」という要素で分類します。

 

インタビューを受けた全28人の内、戦時にアメリカにいたのは7人、日本にいたのは21人でした。

 

次に、戦時にアメリカにいた7人をさらに分類します。

インタビュー内容から全員が親に日本式の教育を受けていることが分かりました。

そのうえで、ナショナル・アイデンティティアメリカにある人は1人、最初はアメリカにあったが戦争を通して日本に変わったのが2人、元から日本にあったのが4人でした。

 

次に、戦時に日本にいた人々の分類を行います。

これらの人々も全員が日本式の教育を受けていることが分かりました。

しかし、日本語が堪能といえるのは11人、日本語に不自由があったと話していたのは10人でした。

このような言語に不自由があった人にはネガティブな戦争体験内容が多く見られました。

戦時に日本にいた人でかつ日本語に不自由があった人の中で、自分のナショナル・アイデンティティを日本に合わせたと感じているのは6人、最後まで馴染めず、終戦後はアメリカへ渡ったのは4人でした。

日本語に不自由を感じていた人々は連鎖的に文化等にも馴染めず、中には終戦後にアメリカに渡った人もいることが分かりました。


◯考察

僕は日系アメリカ人のアイデンティティは教育によって変わり、日本式の教育によって日本人としてのアイデンティティが芽生えていたのではないかと仮説を立てていました。

しかし、実際は居住地に関わらず全員が日本式の教育を受けており、その上で日本人として、アメリカ人として、両方としてのアイデンティティを持っている人々が存在していたことが分かりました。

 

特に、日系二世の鮫島等さんは、アメリカ生まれアメリカ育ちであるため、日本式の教育を受けていようとも、日本のために戦うことは考えられなかったそうです。

教育がその人のナショナル・アイデンティティに包括的に関係するとは限らないことが分かります。

 

一方で、教育の中でも言語教育が日系アメリカ人のアイデンティティ形成に大きな役割を持っていることが分かりました。

戦時に日本にいた日系アメリカ人の中でも、十分な日本語教育を受けていなかった人は、その後の日本や日本軍での生活において何らかの不自由を感じていました。

その中には終戦後にアメリカに帰化した人々もいるため、日本語の不自由によって相対的にアメリカ人としてのアイデンティティが強まったのではないでしょうか。

 

さらに注目したいのは、両方のアイデンティティを同程度持ち合わせていた人々の存在です。

僕は仮説において日系アメリカ人のアイデンティティの揺らぎの存在を指摘していましたが、このように両方のアイデンティティを持ち、両言語が堪能な人々は自身の置かれている状況によって自己を使い分けていたことが分かりました。

例えば、マイク・イワサキさんやサトル・トヨダさんは、戦時は日本兵になり、終戦後は豊かなアメリカに住みたいという希望からアメリカの市民権を得ています。

このように両方のアイデンティティを状況に合わせて上手く使い分ける人の存在は、現代で用途に合わせて自己を使い分ける人々に通ずる点があります。

 

社会学者のジグムント・バウマンは、ナショナル・アイデンティティは帰属の危機を経てネーションステートに所属することで生まれるとしました(Bauman[2004=2007: 48])。

今回の分析を通して、日系アメリカ人のように複数のナショナル・アイデンティティを持つ人には、戦争などの要因によって帰属の危機が訪れると、その時の感情や状況に合わせてどちらに所属するか、どちらのアイデンティティを持つかを選ぶ過程が存在していることが分かりました。


◯まとめ・課題

この記事では、NHKの「戦争体験アーカイブス」を参照して日系アメリカ人の戦争体験インタビューを分析することで、彼・彼女らが戦争を通してどのようにナショナル・アイデンティティを形成したかを簡潔に論じました。

 

分析の結果、彼・彼女らの人生にはナショナル・アイデンティティを選択する過程が含まれていることが分かりました。

また、戦争を体験した日系アメリカ人には言語の習得状況が大きな影響を与えていたことがわかりました。

 

課題は、終戦後の日系アメリカ人の動向まで深く分析できなかったことと、この記事を書いても卒論は1文字も進まないことと、もうバイトの休憩が終わってしまうことです。

 

わずか28人分の分析でしたが、国家の枠を超えた人々のアイデンティティについて議論を深めることができました(と思っています)。


◯参考資料

NHK「戦争証言アーカイブス」http://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/smart/


◯参考文献

Bauman, Z. 2004, “Identity”, Polity (=2007,伊藤茂訳,『アイデンティティ』,日本経済評論社).