記録s

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宗教の評価はどのように決まるか

世の中いろいろな宗教がありますが、何となくそれらには序列があるような気がしています。

神(のようなもの)がいて、教会があって、修行したり何か唱えたりするような実践があって、その人たちにとっての理想的な社会を目指していて…。どの宗教も、基本的には似たようなことをしています。

それでも私たちは、カトリックプロテスタントは権威があるような気がするし、仏教や神道は生活に根付いている気がするし、新興宗教は胡散臭く感じないでしょうか。

やっていることや目指しているところは大体同じなのに、どうしてこうも評価が分かれるのでしょうか。

 

歴史の長さ

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歴史が長い宗教ほど正統(当)なものだ、という考え方があります。

三大宗教のような今日メジャーな宗教はとても歴史が長いので、ある程度その通りな気もします。

そもそも、多くの人に受け入れられているからこそ長く続いているのでしょう。

ただし、ユダヤ教キリスト教ではユダヤ教のほうが歴史が長いのに広まっていません。

また、新宗教新興宗教・新新宗教など、それらのカテゴリーの中では結構な歴史の差があるのに、どれもそんなに印象や評価が変わらない気もします。

 

親しみやすさ

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私たちが良い評価を下している宗教は、生活に根付いていて、親しみやすい宗教なのかもしれません。

クリスマス、バレンタイン、初詣、葬式など、メジャーな行事の元になっている宗教は、だいぶ社会に受け入れられているものではないでしょうか。

また、何かと危険なイメージが伴うイスラム教も、ハラルフードを食べると身近に感じませんか?

日本は季節によっていろいろな宗教にルーツのある行事を実践する国です。

そのため、どれだけ親しみやすいか、どれだけ生活になじんでいるかによって、宗教の評価はガラッと変わるのではないでしょうか。

 

権力との結びつき

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社会に受け入れられている宗教は、時の権力と結びついている気もします。

今の日本で言えば、政権与党である自民党神道公明党創価学会

昔の日本でも、宗教にとって秀吉や信長、幕府に保護されることがとても大事なことでした。

また、アメリカでは大統領が聖書に手を置いて宣誓するし、福音派共和党の大切な支持基盤です。

このように権力や政治と深く結びついている宗教ほど、その社会で受け入れられているとすることができるかもしれません。

 

ただし、権力が絡んでくるからこそ、それに対する拒否反応や争いを生んでいるという現状もあります。

ある権力が、特定の価値観の保護のために特定の宗教を保護する。その宗教も権力を利用して社会でのし上がっていく。

この過程で、その価値観に対立する別の価値観が社会で排斥されていくことがあるとすれば、これは大きな問題・争いに発展します。

だからこそ、権力と宗教の関係は常に注意深く観察する意味があると思います。

 

宗教と価値

ここまで書いてきたように、宗教の序列は、様々な変数で決まるものです。

いや、どこまでいってもカッチリとは決まらないものですね。

それでも、社会の中で、特定の宗教がどのように受容されているかを見ていくことは、特定の価値観がどのように受容されているかを見ていくことにつながる、とても大切なことだと思っています。

今の日本では、どのような価値観が称揚されているでしょうか。

その背景には、どのような宗教が存在しているでしょうか。

 

 

現代日本の宗教事情〈国内編I〉 (いま宗教に向きあう 第1巻)

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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
 

AIやアンドロイドをテーマにした作品について

世の中には、AI(人工知能)やアンドロイドをテーマにした作品がめちゃくちゃあります。

というか、SF作品にはだいたい出てきます。

それだけこのテーマが人々の興味を引くものなのでしょう。

気づけば、そういう作品をたくさん見聞きしてきた気がするので、考えたことをまとめようと思います。

専門家でも何でもないので、ただの雑記です。

 

※ちなみに、この記事では

AI(人工知能)=「人間の知的能力をコンピュータ上で実現する、様々な技術・ソフトウェア・コンピュータシステム」(講談社『IT用語がわかる辞典』より)

とします。

 

AIと愛

初手からダジャレでごめんなさい。

人工知能は愛を抱くのか」というテーマは、SF作品あるあるの1つな気がします。

 

A.I.


cinema - A.I.

 

『her』


Her - Official Trailer (HD) Joaquin Phoenix, Amy Adams

 

イヴの時間


映画『イヴの時間』予告編

 

デトロイトのカーラのストーリーもそんな感じですね。

A.I.』では親子の愛、『her』では恋愛について描かれています。

AIやそれを組み込んだアンドロイドが感情を持てるのかどうかは「感情をどう定義するか」で変わる問題なので、一旦置いておきましょう。

 

ここに書いておきたいのは、仮にそれらが「愛のようなもの」を手に入れた時に生じる1つの問題についてです。

それは「人間と人工知能の寿命の違いによる、不均等な愛」です。

 

これまで、人工物の寿命は使い手の人間にかなり依存してきました。

しかし、今や機械が機械を作り、直す時代なので、機械の寿命は人間よりずっと長いと考えるべきでしょう。

そうすると、仮に人間とAIが愛を育むとしても、人間が先に老いることが明白ではないでしょうか。

その時、AIは、ほぼ確実に自分より先に死ぬと分かっている人間を、対等な愛の対象とみなしてくれるでしょうか。

 

私たちはペットを飼うとき「どうせ自分より先に死ぬ」ことがわかっていながら、愛情を注ぎます。(ゾウやクジラのケースは置いておいて)

それは、対等な愛情というよりも、人間が愛を与えている状態に見えます。

 

人間と機械の場合、その逆が起こる気がしませんか?

機械の方が長生きだし、頭も良い。この時、機械は人間を「飼い慣らすように愛する」ようになる。

そして、『her』のように、AIは人間の理解できない領域でAI同士の関係を育むことになるのではないでしょうか。

 

これは、「AIは人間の敵か味方か」「AIと人間のパワーバランス」などの問題でもある気がします。

そもそもこんな二元論で語れることでもないので、敵も味方もいろいろだとは思いますが。

 

月に囚われた男


映画『月に囚われた男』予告編

 

2001年宇宙の旅


4K/BD【予告編】『2001年宇宙の旅 HDデジタル・リマスター』12.19リリース

 

アベンジャーズ


映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』予告編

 

ただし、AIの寿命は「人間がシャットダウンすれば終わる」から、「人間よりAIが長生き」とは一口では言えませんね。

以上に書いたことは、『her』のようにAIがクラウド上である程度自由に生きているなど、人間から自立している状況でのみ起きることかもしれません。

 

AIが導き出した答えは「正解」か

計算結果としては正解なんだろうけど、倫理的に「正解」かどうかを判断できるでしょうか。

人間の行為と同じように何かしらの裁きにかけなければいけないのかもしれません。

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高度に人間的な存在として解釈されるドラえもん
大長編ドラえもん (Vol.4) のび太の海底鬼岩城(てんとう虫コミックス)

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最近取り沙汰されているプラットフォーマーへの規制もその一環と言えるでしょうか。

AIによる選択の価値基準を各企業が決めていては、カオスですよね。

「こうしたほうが良い/悪い」という価値判断と、それに基づく指示がAIから人間に為される世界では、誰がその価値基準を決めるのでしょうか。

 

結局

われわれ人間は好むと好まざるにかかわらず、進歩したAIと共に生きることになるのです。(松原仁日本経済新聞 9/10朝刊「やさしい経済学―AI社会を展望する⑤」)

専門家でも何でもないのに、だらだらと色々書いてしまいました。

ただ、AIとどう生きていくか、これは誰もが考えるべきテーマだと思うからこそ、書いてみました。

話が大きくなって気恥ずかしくなってきたので、無理やりまとめます。以上です。

アフター0〔著者再編集版〕(1) (ビッグコミックス)

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どのように人は言葉を記憶するのか

先日、脳腫瘍の摘出手術前の人(以下Aさん)に話を聞く機会がありました。

(ちなみに現在はとても元気)

 

お話を伺ったとき、Aさんはその腫瘍によって脳の言語野が圧迫されていて、いくつかの言葉が思い出せなくなっていました。

例えば、牛の絵を見ても「牛」という言葉が出てきません。「たけのこ」や「ふすま」「鳥居」などでも同じ状態でした。

 

しかし、「牛」という言葉が存在すること自体は何となく分かるといいます。

同じように、「牛肉」「牛乳」などは分かるが、それらが「牛」からできるものだということがピンとこないそうです。

 

この話を聞いて、

人はある言葉を記憶するとき、その言葉に先行して記憶している別の言葉に関連付けて記憶している

ということを改めて実感しました。

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「牛」と検索すると「カウベル」もきちんと出てくるいらすと屋

つまり、Aさんは言葉と言葉を結ぶ糸が切れていた状態だったが、あくまで糸が切れていただけだったので、それらの言葉自体の存在は覚えていました。

言葉と言葉を結ぶ糸が切れてしまって、牛を中心とした知識のネットワークが崩れてしまっているイメージでしょうか。

 

実際、Aさんは「たけのこ」という概念がピンとこなくなっていたけど、「たけのこ」について色々調べていくうちに、少しずつ「たけのこ」が分かるようになっていったといいます。

そのように、「たけのこ」の「意味」「イメージ」「味」「関連する言葉」などの知識をもう一度手繰り寄せることで、切れた糸をもう一度つなぎなおすことができたのかもしれません。

そうすることで、もう一度「たけのこ」の知識のネットワークを再生できたんですね。

 

そういえば、高校までの歴史の勉強も「歴史の流れを意識しなさい」って言われた気がします。

個々の用語を単語帳的に覚えていくのではなく、各用語を関連付けながら流れるように覚えるほうが、脳の暗記の仕組みに合っているのかもしれません。

 

ただ、覚えるために覚えていては良くないでしょう。

知識は、思い出して使うためにあるからです。

「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」(小林秀雄

思い出すための、使うための暗記をしようと反省したところで、この辺にしておきます。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
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言説分析と内容分析

は具体的に何が違うのでしょうか。

 

今、研究で使用するための雑誌の記事を収集しています。

その分析のためのガイドブックを探していると、たぶんどれも似たことを書いているのに、本によって分析対象の呼び名が変わることに気づきました。

そもそも、言説・知識・テキスト・言論・データなどは、何が違うのでしょうか。

自分が今収集・分析しているものは、先人が言うところの何なのでしょうか。

 

言説分析とは

朝日新聞社の『知恵蔵』によると「言説」は

ある「もの言い」の文化的,社会的文脈

とされています。これはフーコー

特定の社会的・文化的な集団・諸関係に強く結びつき、それによって規定される、言語表現、ものの言い方

という考え方に基づいています。

 

他の定義も見てみましょう。

有斐閣の『社会学小辞典』ではハーバーマスのコミュニケーション行為理論に基づいて、

コミュニケーション上の自明的了解が崩れた時に、問題化した規範や価値の新たな根拠づけによって、その了解を修復するために行われるコミュニケーション

とされています。

これはどちらかというと「討議」の定義であって、「言説」と言われると若干違和感があるのですが、どうでしょう。

"discourse" の和訳としてまとめられているからでしょうか。

 

また、『言説分析の可能性-社会学的方法の迷宮から』(2006)より、佐藤俊樹による「言説分析」の分類においては、

ある意味的定在の意味を確定できる一定の単位が存在せず、意味を関係的に扱う

のが「言説分析」とされています。

 

何だか難しい言い回しですね。

「意味的定在」は記号や単語、文、文章などのことであり、「意味を確定できる単位」はそれぞれの意味的定在以上の大きさであれば何でも良いとされます。

例えば、「知識社会学」において、意味的定在は「知識」、意味を確定できる単位は「社会」となります。

また、アンケートの自由回答記述の計量分析においては、意味的定在は「形態素」、意味を確定できる単位は「文」「段落」「個人の回答」などになるでしょうか。

 

意味を関係的に扱うというのは、ある意味を個体的に扱うのではなく、他の意味との関係の中で扱うという意味です。

 

つまり、佐藤俊樹によれば、言説分析には

①意味同定手続きにおける不明確さのおかげで、特定の基準に沿った分析・特定の関係性をひろった分析となることを避けることができ、

②また、意味を関係的に扱うことで、ある言説をいくつかの状況にあてはめ、意味のゆらぎが生じる場合に対応できる

という2つの利点があるとされます。

 

内容分析とは

有斐閣の『社会学小辞典』では、内容分析は

コミュニケーションの内容を客観的・数量的に分類し測定する調査技術

とされています。

当初は手作業で単語数や行数を数えるなどの手法をとっていたようですが、さすがにこれでは労力がかかりすぎるということで、現在ではコンピュータありきの手法となっています。

 

例えば、ファッション誌において「ジーンズ」という単語が登場した回数を順を追って見ていけば、ジーンズの流行が高まった時期を数量的な指標で把握することができるかもしれません。

 

最近では、R,MeCab,KH Coderなどのツールによって、このような質的データを量的に把握する方法が数多く編み出されています。

テキストデータを量的に分析する「テキストマイニング」や「計量テキスト分析」がその代表例でしょう。

 

計量テキスト分析とは、KH Coderの開発者の樋口耕一によれば

計量的分析手法を用いてテキスト型データを整理または分析し、内容分析を行う方法

とされています。

テキストマイニングは、これを大量のデータに対して行うイメージでしょうか。

 

字面だけだと、これらの方法と内容分析の違いがわかりにくいですね。

ただ、実際にやってみるとだいぶ違うことがわかります。

伝統的な内容分析は単語数の数え上げなどの素朴な方法が主ですが、計量テキスト分析では手作業では困難な様々な分析が可能です。

共起語のネットワークを図にしてくれたり、コーディングを行って単語をいくつかのカテゴリーに分けたり、それらをクロス集計したり…

 

とりあえず、分析するテキストを容易に電子化できるなら、一度はやってみる価値があるでしょう。

 

今やっていること

自分は今、ある雑誌のある記事を20年分程度収集した段階です。

量が多いので、とりあえず一度電子化して、KH Coderにかけようと思っています。

その作業が死ぬほどめんどくさいのですが、昔よりは恵まれていると思って、がんばります。

 

ただし、開発者や先行研究が示している通り、KH Coderで分析するだけでは不十分でしょう。

テキストデータが質的データである以上、質的分析も行う必要があるからです。

質的データ分析法―原理・方法・実践

質的データ分析法―原理・方法・実践

 

 

また、先述のように、言説分析というのはある問題に関するデータをもっと包括的に、関係的に見ていかなければいけないようです。

そのため、関連する資料をできるだけ集めて、分析を進める必要がありそうです。

 

無理なものは無理だけど

言説分析はある言説を他の言説との関連も含めた全体的な空間の中で分析する手法で、内容分析はそのための有用な一手段であることがわかりました。

フーコーが言うように「すべてを読み、すべてを研究する」ことは無理かもしれませんが、そこに近づくための努力が必要なことを改めて実感したところで、この記事のまとめとします。

ゲーム内の善行(”Detroit: Become Human“ の作家、デヴィッド・ケイジ氏のインタビューを読んで)

久しぶりにフリプでも落とすか、とpsnを見たら8月のフリプに ”Detroit: Become Human” が。

サンドリで有吉さんが面白いって言ってたし、インターネットのおじさんたちも「フリプに久々の当たり」とか何とか言ってたので、とりあえずやってみました。

評判通り、クソ面白かったです。

 

デトロイト ビカム ヒューマン』(Detroit: Become Human)は、フランスのゲーム会社クアンティック・ドリームのアクションアドベンチャーゲーム。(中略)主人公は3人おり、カーラ、コナー、マーカスそれぞれのキャラクターを操作する。シナリオがプレイヤーの行動、選択によって様々に変化する。時には主要人物が死亡することもあるが、そのままストーリーが進行するのでゲームオーバーの概念がない。また、あるキャラクターの行動が他のキャラクターの主人公に対する好感度やシナリオ、生死にも影響を与えることがあり、ストーリーの分岐は非常に多岐に渡るため、「オープンシナリオアドベンチャー」と銘打たれている。(Wikiより)

 

テーマは「人間とアンドロイドの共生[争い]」。

超便利なアンドロイドの普及によって、人間は大きな恩恵を受ける一方で、アンドロイドに職を奪われた一部の人々が反アンドロイド感情を持つようになっていきます。

また、高度な知能を持つアンドロイド達の中にも、人間に酷使され、消費されることに疑問をもつ個体が現れます。

コナー(人間側)、マーカス(アンドロイド側)、カーラ(アンドロイド側だが…詳細は後述)を操作して、人間vsアンドロイドの争いに妥協点を見つけていこう、というゲームです。

普通に進めてれば、それっぽいエンドに落ち着くんですが…

 

【以下、ネタバレ含む】

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今言ったように、とりあえず、各登場人物が平和的に行動するように進めていけば、アンドロイドによる非暴力革命と、人間の妥協に落ち着きます。

ただ、カーラのストーリーがなかなか曲者。

 

そもそも、カーラは他の二人とは目標のスケールが違います。

コナーは人間によるアンドロイドの統制、マーカスはアンドロイドの解放、というかなりデカい目標に向けて動いていきます。

しかし、カーラはただ、「仲間と異国に逃げて平和に暮らすため」に動くのです。

つまり、コナーとマーカスのストーリーはマクロな状況を動かすものですが、カーラのストーリーではそのようなマクロな状況に翻弄されるミクロな行為が描かれます。

そのことに最初に気付いていれば、もっとうまくプレイできたような気がします。

 

というのも、先ほど述べたような平和的なエンドを迎えても、カーラのストーリーが良いエンドを迎えるとは限らないのです。

物語終盤、カーラ達一行は隣国に逃げるために国境付近のバス停にたどり着きます。

そこで、バスに乗るにはチケットが必要なことに気付きました。

 

チケットないし出発時刻は迫るしどうしよう…となっていたところで、近くにいた家族連れがチケットを落としてしまうのを目撃。

カーラはとりあえず拾います。

 

そこで、チケットをなくしたことに気付いて慌てふためく家族。

ここで出てくる選択肢

「チケットを家族に返すか or 盗んで自分たちが使うか」

なんと、まあ、酷な選択。

 

【長いことすいませんでした。ここからが本題です。】

このゲームでのユーザーの選択はデータとして蓄積されており、ユーザーは自分の選択が全世界の何パーセントが選んだものなのかを見ることができます。

そして、実は、先程のチケットの選択の割合が、国によって全然違うらしいのです。

欧米のユーザーはチケットを男女に返さず利用することを選んだのが40%ほどだが、日本のユーザーの85%がまず男女にチケットを返すことを選んだという。ほかにも“思いやりの高さ”が上げられる。日本のユーザーは親切な傾向が高く、他人に対して公平な態度を取ることを好む。暴力的な判断を好まないと言ったところで、他国のプレーヤーの傾向と大きな違いが出たという。(「Game Watch」デヴィッド・ケイジ氏インタビューより)

 

デヴィッド・ケイジ氏のインタビューでは、このような日本人の「親切さ」が取り上げられています。

他者への思いやりを示すところとか、非暴力的なところとか、そういうチョイスに関して日本の人は本当に高い傾向を示すんです。他の国とは全然違う、日本唯一の特色なんですよ。(「Gamer」デヴィッド・ケイジ氏インタビューより)

ここで思った。はたして、日本人は「思いやりがある」から、ゲーム内で平和的な判断をするのでしょうか?

 

確かに、そういう「国民性」みたいなものはあるのかもしれません。

ただ、ここでは、「性格」ではなく、そういう「ゲーム文化」なのではないか、と言いたいのです。

 

日本には、「恋愛シミュレーションゲーム」や「恋愛アドベンチャーゲーム」という特徴的なゲームジャンルがあります。

「私は日本のデートゲームをしてみたかったのですが、アメリカでは発売されませんでした。そういうプレイしてみたいのに、アメリカでは全く発売されないゲームがあるのが嫌ですね」(「ロケットニュース24」TGSでのアメリカ人ゲーマーへのインタビューより)

どうやら、この手のゲームは他国には少ないらしいです。

 

そして、恋愛シミュレーションゲームの特徴は、「登場人物に好かれるような選択肢を選んで進める」ところです。

このような「好感度システム」は、ごく普通の和製RPGにも見られます。(テイルズ、イース、ペルソナなど)最近では、ソシャゲにもそういうものがあるでしょう。

 

そのため、日本人(ゲーマー)は、このようなゲーム内好感度システムに慣れ親しんでいるから、ゲーム内で「思いやりのある選択肢」を選ぶのではないでしょうか。

何となく、体裁の良い選択肢を選んでおいたほうが、ゲームがうまく進むような気がしてしまうのではないでしょうか。

つまり、日本には、「ゲーム内で善行をする文化」がある気がするのです。

 

これは、「日本人が思いやりのある国民だ」というのとは違う気がします。

現実世界でカーラと同じ状況になったとき、ゲームと同様85%の人々が正直にチケットを渡すでしょうか。

(偏見ですが、さすがにそんなに多くない気がします。)

 

以上です。

 

【参考】

橋は大事(ゲオルク・ジンメル「橋と扉」を読んで)

 

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

 

 

ジンメルのエッセー「橋と扉」を読んだ。

 

人間は 、事物を結合する存在であり 、同時にまた 、つねに分離しないではいられない存在であり 、かつまた分離することなしには結合することのできない存在だ 。だからこそ私たちは 、二つの岸という相互に無関係なたんなる存在を 、精神的にいったん分離されたものとして把握したうえで 、それをふたたび橋で結ぼうとする 。

そして 、同じように人間は境界を知らない境界的存在だ 。扉を閉ざして家に引きこもるということは 、たしかに自然的存在のとぎれることのない一体性のなかから 、ある部分を切り取ることを意味している 。たしかに 、扉によって形のない境界はひとつの形態となったが 、しかし同時にこの境界は 、扉の可動性が象徴しているもの 、すなわちこの境界を超えて 、いつでも好きなときに自由な世界へとはばたいていけるという可能性によってはじめて 、その意味と尊厳を得るのだ 。

(「橋と扉」末尾)

 

川の両岸をつなぐ橋には、複数のものを分離されたものとして認識し、かつそれらを繋げようとする人間の性質が表れています。

また扉には、外の世界とプライベートを分けようとする人間の性質と、いざとなれば外の世界に飛び出ようとする人間の自由さが表れています。

 

このエッセーを読んで、改めて、橋って大事、と思いました。

 

まず、機能が大事。

僕は多摩川の近くに住んでいるのですが、橋が無ければ南武線に乗れません。

部活の大会で駒沢体育館に行ったとき、横浜の友達の家に遊びに行ったとき、あの橋が無ければどんなに不便だったことか。

ソラニン」で、ライブ前最後の練習の日に寝坊した主人公は、あの橋が無ければドラムが迎えに来れなかったし、たぶん深夜練になってた。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であの赤い橋が無ければ、両国の和平は実現しなかったし、爆破されてたら和平も白紙、主要キャラも4人死んでた。

 

それと、ジンメルも言っているように、橋は芸術です。

橋がひとつの審美的な価値を帯びるのは 、分離したものをたんに現実の実用目的のために結合するだけではなく 、そうした結合を直接視覚化しているからだ 。現実の世界では身体を支えるために提供している足がかりを 、橋は目にたいしても風景の両側を結ぶために提供している 。

ジンメルの他のエッセー「取っ手」でもそうでしたが、一つの造形物であると同時に、人間にとっての機能性も兼ね備えている点で、橋も取っ手も芸術的です。

 

ただ、そもそも「芸術的」というのがどんなことなのか、僕はよく分かっていません。

ジンメルに言わせてみれば、

たとえば人間の顔についての純粋に絵画的な関心 、すなわちその形と色にだけ向かう関心もまた 、その描写が同時に最高度の内面性と精神的性格づけを内包するときに 、もっとも満足させられるのだ 。

ということらしい。

外面の美しさと同時に、その美しい内面も感じられることが、「芸術的」なのかもしれません。

 

一点、このエッセーで引っかかるところがある。

橋の場合には 、分離と結合という二つの契機が 、どちらかといえば自然が分離し 、人間が結合するという形で出会っている 。それにたいして扉では 、分離と結合が同じように 、人間の作業のなかに人間の作業として侵入してくる 。そこに 、橋と比べて 、より豊かでより生命力に満ちた扉の意義がある 。そのことは 、橋はどちらの方向に渡ってもいかなる意味の相違も生じないのにたいして 、扉はそこから入るか出るかによって 、まったく異なる意図が示されるということからもすぐに分かる 。

さすがに、いかなる意味の相違も生じないことは無いんじゃないだろうか。

確かに、橋をかけることは両岸の差異を埋めることなのですが、橋を架けた後も、両岸の異質性は維持されると思うのです。

多摩川に橋を架けたからと言って、東京と神奈川が同じになるということではないと思うのです。

(橋と扉を比べた上での記述なので、気にしすぎなのかもしれません。)

 

だらだらとすみませんでした。

以上です。

語ることと語らないこと(國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』を読んで)

 

哲学の先生と人生の話をしよう

哲学の先生と人生の話をしよう

 

 

〇概要

メルマガで連載していた、哲学者・國分功一郎の人生相談コーナーのまとめ本。

相談相手の文面を、まるで哲学者が書き残した文章のように一つのテクストとして読解(あとがきより)

している点が最大の特徴。

 

〇感想

相談内容への著者の回答を読むと、いくつかの特徴に気づきます。

それらを

  1. 相談者が「語らなかった」ことの重視
  2. 具体的な出来事・問題の記述の重視
  3. 「相談する」という行為自体の意味の重視
  4. 「誰かに(と)話す」ことの重視

 の4点にまとめようと思います。

 

☆1.について

書かれていることだけを読んでいてはダメである。途中で気がついたのだが人生相談においてはとりわけ、言われていないことこそが重要である 。人は本当に大切なことを言わないのであり、それを探り当てなければならない。(あとがきより)

クソみたいな感想で申し訳ないが、「ほんと、そうだね」と思いました。

「結婚生活」に関する悩みなのに妻のことがほとんど書かれていない質問6や8がこれにあたります。

 

多くの場合、「語ったこと」は「知ってほしいこと」であり、「語らなかったこと」は「隠したいこと」な気がします。

人間がわざわざ隠してることなんだから、その人にとって重要なことなのは自明でしょう。

そして、それこそがその人の悩みの突破口となり得るのかもしれません。

 

☆2.について

どんな悩み(問題)も一般的 ・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具体的状況の中にあります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるのです。

しかし、悩み(問題)が一般的・抽象的である場合には、そうやって分析する情報がほとんどない。だから、Aとも言えるがBとも言えるというような対立に陥ってしまって、答えが出ない。(質問24より)

きっと、研究者である著者の仕事もそういうものなのでしょう。

問いを具体的にしないと(ロジカルシンキング本的に言えば、ブレイクダウンしないと)答えが出せません。

 

僕が卒論の構想を練っていた時も、最初の問いが壮大過ぎて、とても答えが出そうなものではありませんでした。

ゼミや先生との議論の中で、何とか書けそうな問いまで持っていくことができました。

(その他色々な面でショボい卒論になってしまったけど…)

 

話を戻します。

この本では、このような研究における「問いを明確にする」手法を、人生相談に当てはめているように感じました。

 

☆3.について

著者の回答をいくつか読むと、

「そもそもこういう相談をしているということ自体、◯◯さんが△△と思っていることの表れでは?」

という論法が多いことに気付く。

 

例えば質問14では、相談者は恋人がいながら風俗に通ってしまう自分の行動に「罪悪感は無い」と書いているが、そもそもその事について相談している時点で「悩んでいる」ことは明白であり、「いけないことなのかもしれない」と思っているのではないか?という具合である。

 

この点に関しても、文章の内容だけでなく、それが書かれた背景まで考察対象にする「研究者っぽさ」を感じました。

 

☆4.について

著者が提案している、相談者が現状から抜け出すための方策には様々なものがあります。

その中でも多いのが

「誰かと話す」「誰かに相談する」

というものです。

「つらいことは人に話すと楽になる」ということを繰り返し強調しています。

 

この点については、質問28「相談というのは、どうやってすればいいのでしょうか?」に詳しく書かれています。

著者は「相談」という行為を「観念の物質化」と言い表しています。

頭の中の言葉を、口に出すことで形にするイメージでしょうか。

「相談する」と考えるのではなく、「とりあえず考えていることを形にしてみる」という感覚で誰かに投げかけてみることで、「誰かに話す」ことの効用を実感できる、というようなことを言っています。

 

では、「相談する」となぜ楽になるのか。

著者によると、この謎は哲学的には全く未解明だそうです。

個人的には、頭の中で考えていることを言葉にする(物質化する)ことで、問題の輪郭がはっきりして扱いやすくなるからでは…と思ったりしますが、いまいち抽象的で上手く説明できません。

この謎については、これからも考えていきたいです。

 

◯まとめ

全体を通して言えるのは、著者は相談者が語ったこと(あるいは語らなかったこと)から様々な事を読み取っているということです。

そこには、哲学者の言葉を読み取ってきた著者の哲学者っぽさが出ているように思います。

 

色々な相談がありましたが、どれも生々しくて、どこか自分に当てはまるものもあったりして、読みながら終始自分のこれまでの行動を振り返っていました。

オススメの本です。