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Things you can live without knowing

ゲーム内の善行(”Detroit: Become Human“ の作家、デヴィッド・ケイジ氏のインタビューを読んで)

久しぶりにフリプでも落とすか、とpsnを見たら8月のフリプに ”Detroit: Become Human” が。

サンドリで有吉さんが面白いって言ってたし、インターネットのおじさんたちも「フリプに久々の当たり」とか何とか言ってたので、とりあえずやってみました。

評判通り、クソ面白かったです。

 

デトロイト ビカム ヒューマン』(Detroit: Become Human)は、フランスのゲーム会社クアンティック・ドリームのアクションアドベンチャーゲーム。(中略)主人公は3人おり、カーラ、コナー、マーカスそれぞれのキャラクターを操作する。シナリオがプレイヤーの行動、選択によって様々に変化する。時には主要人物が死亡することもあるが、そのままストーリーが進行するのでゲームオーバーの概念がない。また、あるキャラクターの行動が他のキャラクターの主人公に対する好感度やシナリオ、生死にも影響を与えることがあり、ストーリーの分岐は非常に多岐に渡るため、「オープンシナリオアドベンチャー」と銘打たれている。(Wikiより)

 

テーマは「人間とアンドロイドの共生[争い]」。

超便利なアンドロイドの普及によって、人間は大きな恩恵を受ける一方で、アンドロイドに職を奪われた一部の人々が反アンドロイド感情を持つようになっていきます。

また、高度な知能を持つアンドロイド達の中にも、人間に酷使され、消費されることに疑問をもつ個体が現れます。

コナー(人間側)、マーカス(アンドロイド側)、カーラ(アンドロイド側だが…詳細は後述)を操作して、人間vsアンドロイドの争いに妥協点を見つけていこう、というゲームです。

普通に進めてれば、それっぽいエンドに落ち着くんですが…

 

【以下、ネタバレ含む】

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今言ったように、とりあえず、各登場人物が平和的に行動するように進めていけば、アンドロイドによる非暴力革命と、人間の妥協に落ち着きます。

ただ、カーラのストーリーがなかなか曲者。

 

そもそも、カーラは他の二人とは目標のスケールが違います。

コナーは人間によるアンドロイドの統制、マーカスはアンドロイドの解放、というかなりデカい目標に向けて動いていきます。

しかし、カーラはただ、「仲間と異国に逃げて平和に暮らすため」に動くのです。

つまり、コナーとマーカスのストーリーはマクロな状況を動かすものですが、カーラのストーリーではそのようなマクロな状況に翻弄されるミクロな行為が描かれます。

そのことに最初に気付いていれば、もっとうまくプレイできたような気がします。

 

というのも、先ほど述べたような平和的なエンドを迎えても、カーラのストーリーが良いエンドを迎えるとは限らないのです。

物語終盤、カーラ達一行は隣国に逃げるために国境付近のバス停にたどり着きます。

そこで、バスに乗るにはチケットが必要なことに気付きました。

 

チケットないし出発時刻は迫るしどうしよう…となっていたところで、近くにいた家族連れがチケットを落としてしまうのを目撃。

カーラはとりあえず拾います。

 

そこで、チケットをなくしたことに気付いて慌てふためく家族。

ここで出てくる選択肢

「チケットを家族に返すか or 盗んで自分たちが使うか」

なんと、まあ、酷な選択。

 

【長いことすいませんでした。ここからが本題です。】

このゲームでのユーザーの選択はデータとして蓄積されており、ユーザーは自分の選択が全世界の何パーセントが選んだものなのかを見ることができます。

そして、実は、先程のチケットの選択の割合が、国によって全然違うらしいのです。

欧米のユーザーはチケットを男女に返さず利用することを選んだのが40%ほどだが、日本のユーザーの85%がまず男女にチケットを返すことを選んだという。ほかにも“思いやりの高さ”が上げられる。日本のユーザーは親切な傾向が高く、他人に対して公平な態度を取ることを好む。暴力的な判断を好まないと言ったところで、他国のプレーヤーの傾向と大きな違いが出たという。(「Game Watch」デヴィッド・ケイジ氏インタビューより)

 

デヴィッド・ケイジ氏のインタビューでは、このような日本人の「親切さ」が取り上げられています。

他者への思いやりを示すところとか、非暴力的なところとか、そういうチョイスに関して日本の人は本当に高い傾向を示すんです。他の国とは全然違う、日本唯一の特色なんですよ。(「Gamer」デヴィッド・ケイジ氏インタビューより)

ここで思った。はたして、日本人は「思いやりがある」から、ゲーム内で平和的な判断をするのでしょうか?

 

確かに、そういう「国民性」みたいなものはあるのかもしれません。

ただ、ここでは、「性格」ではなく、そういう「ゲーム文化」なのではないか、と言いたいのです。

 

日本には、「恋愛シミュレーションゲーム」や「恋愛アドベンチャーゲーム」という特徴的なゲームジャンルがあります。

「私は日本のデートゲームをしてみたかったのですが、アメリカでは発売されませんでした。そういうプレイしてみたいのに、アメリカでは全く発売されないゲームがあるのが嫌ですね」(「ロケットニュース24」TGSでのアメリカ人ゲーマーへのインタビューより)

どうやら、この手のゲームは他国には少ないらしいです。

 

そして、恋愛シミュレーションゲームの特徴は、「登場人物に好かれるような選択肢を選んで進める」ところです。

このような「好感度システム」は、ごく普通の和製RPGにも見られます。(テイルズ、イース、ペルソナなど)最近では、ソシャゲにもそういうものがあるでしょう。

 

そのため、日本人(ゲーマー)は、このようなゲーム内好感度システムに慣れ親しんでいるから、ゲーム内で「思いやりのある選択肢」を選ぶのではないでしょうか。

何となく、体裁の良い選択肢を選んでおいたほうが、ゲームがうまく進むような気がしてしまうのではないでしょうか。

つまり、日本には、「ゲーム内で善行をする文化」がある気がするのです。

 

これは、「日本人が思いやりのある国民だ」というのとは違う気がします。

現実世界でカーラと同じ状況になったとき、ゲームと同様85%の人々が正直にチケットを渡すでしょうか。

(偏見ですが、さすがにそんなに多くない気がします。)

 

以上です。

 

【参考】