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「問題」児と「答え」児(富永京子『みんなの「わがまま」入門』を読んで)

「わがまま」による問題解決

みんなの「わがまま」入門

みんなの「わがまま」入門

  • 作者:富永京子
  • 発売日: 2019/04/30
  • メディア: 単行本
 

富永京子さんの『みんなの「わがまま」入門』は、「わがまま」を「自分の意見を主張すること」と定義し、問題解決のための手段として捉え直す一冊です。

たとえば、学校の制服がすごく高価だったとしますよね。経済的に余裕のあるお家はすぐに制服を買えるかもしれないし、ご近所に卒業生のいる生徒さんは、先輩のお下がりをもらえるかもしれない。(略)

 

一方でそれがすごく負担になる人もいます。ご近所づきあいが円滑であったり、人に「お下がりちょうだい」と言えたり、制服代をポンと出せるお家ばかりではない。(略)

 

こういう人にとって制服は安いほうがいいに決まっているけれど、みんな「当たり前」と思いながらそのお金を支払っているから、「制服が高い」「もっと安く買えないの?」と意見を言うことが、自分のためだけの「わがまま」と思えてきてはばかられてしまう。(『みんなの「わがまま」入門』pp.22-4)

日本の相対的貧困率は15~16%。30人のクラスに当てはめると4~5人になります。*1

たった1人でも制服の値段に異議申し立てをすれば、その4~5人の負担を減らせるかもしれません。

誰かが「わがまま」を言うことが、誰かの悩みを払拭することにつながるかもしれません。

 

私はデモなどの社会運動を専門に研究しているのですが、日本では、こうした社会運動を「わがまま」だと感じている人は多いと思っています。その感覚は実は私にもあるのですが、日常的な「わがまま」と同じように、社会運動が困っている人を救うこともよくわかる。自分がこうした感覚を抱いているからこそ、同じようにネガティブなイメージを持っている人にその意義や役割を伝えたいと思って、この本を書きました。(富永京子「好書好日」インタビュー)

近年の「日本人の意識」調査(NHK放送文化研究所)では、「デモなど」が国の政治に影響を及ぼしていると感じる人の割合は2割程度しかいません。*2

そんな日本という国の社会運動の専門家は、真っ向から世論にカウンターをぶつけるものだと思っていました。

しかしそうではなく、デモが場合によっては「わがまま」と言われることを取り上げ、タイトルにまでしていること自体が本書の面白い点です。

 

その先は?

そんな訳で、この本を読めば、「わがまま」によってある事象が「問題化」して初めて、その問題の解決への道がひらけるということがわかるのですが、

では、その後、どのように解決への道を歩いていけばいいのでしょうか。

 

どう見ても答えが出せる問いではありませんが、考えたことを書いていきます。

まず、本書を読んだときに想起した、ある小説の一節についてです。

 

「問題」児と「答え」児

伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』でこのような一節があります。

そして、「岡田君は問題児だ」と女子が言う。

問題児とはいったいどういう意味なのか、僕は実はよくわかっていなかった。

「問題」児がいるのであれば、「答え」児もいるのではないか、岡田君が問題を出し、別の誰かが答えるのではないか、と発想したほどだ。 

伊坂幸太郎『残り全部バケーション』第四章)*3

この小説は、少しアウトローだけど何かいいヤツの「岡田」を中心としたドタバタコメディ。上の一節は、問題児と呼ばれた「岡田」少年を、クラスメートが一目置いている部分です。

 

「問題児」というのは一般に、

 性格・行動が他の多くの子供と異なる点が多く、教育上特別な配慮と指導を必要とする子供。(大辞林第三版)

という意味です。基本的には、マイナスイメージのある言葉でしょう。

 

ここで、この「問題児」を、「わがまま」の主体として捉えられないでしょうか。

 「問題」児が「問題」を提示して、他の誰かが「答え」児になる

というのは、

 「問題児」が「わがまま」を言うことで、他者が「解決策」を考える

と考えてもいいと思います。

 

「わがまま」を言う人は「岡田」のように、アウトローだけどいいヤツかもしれない。その可能性を私たち一人一人が頭の隅に置いておくことで、誰かの「わがまま」を聞いたときに、その解決策を社会全体で考えていくスタートラインに立てるような気がしませんか。

 

ただし、ここまで来ると、また1つ問いが生まれます。

「答え」とは何でしょうか。

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万人にとっての「答え」なんてないのかもしれない。

では、私たちはどのように問題の解決策を考え出せばいいのでしょうか。

 

「先生」の役割

ここで出てくるのが知識人たちです。

私たちが「問題児」「答え児」だとしたら、知識人は「先生」でしょうか。

何か問題が起きたときに、その分野の専門家の意見を参考にすることはとても重要です。*5

私たち1人1人の知識量なんて、たかが知れています。

「3人寄れば文殊の知恵」といいますが、「3人寄っても下種は下種」ともいいます。

議論が行われるのことはとても良いことですが、それだけで結論を出すのは尚早かもしれません。

「先生」の意見も聞きつつ、問題の解決案を出していくことが大切です。

 

しかし、ここで出た案は玉石混交です。

それに、良い案でも実現可能性が低いかもしれない。

そこで必要になるのが「議論」です。

 

「学級会」の役割

ここまで「問題(答え)児」「先生」ときているので、あえて例えるなら、議論は「学級会」と言えるでしょうか。

そもそも「議論」というのは、場合によってやり方が異なります。

その場で案を出していってなんとなく合意にもっていくのか、ただの意見交換会なのか、2手に分かれて討論するのか…

 

もし、ある問題について2つの立場があり、そのどちらかに決めなければならないという状況なら、2手に分かれて討論するというのも良いかもしれません。

しかし、このような「ディベート」と呼ばれるやり方は、どこかゲームっぽいところがあります。

つまり、「どれだけ相手を論破したか」という点取り合戦になってしまい、「ある問題について1つの合意に到達すること」ではなく、「論破すること」が目的になる危険性があるということです。*6

もちろん、競技ディベートならそれで構いません。しかし、ここでいう「議論」は「対話」によって何かしらの合意に到達することを重視したいと思います。

 

政治学では、そのような話し合いを重視する民主主義の形を「熟議民主主義」と呼んでいます。

熟議とは、多くの当事者による「熟慮」と「議論」を重ねながら課題解決を目指す対話のことで、活発な議論により、的確に多くの人の意見を反映することができます。(文部省『コミュニティ・スクール 2018』)

 政治学者の田村哲樹さんのもっと具体的な説明によれば、

  • 自分の意見を言うときに受け容れ可能な理由を述べること
  • 相手の理由に納得したら自分の見解、選好をかえること

という2点を備えた話し合いを「熟議」と呼ぶそうです。

やみくもに議論するのではなく、この「熟議」を意識することで、より問題の解決に近づける気がします。

 

ここまでの流れをまとめると、

  1. 「問題児」が「わがまま」(問題)を提示する。
  2. 「先生」の意見を参考にしながら、「問題/答え児」たちでその「答え」(解決策)を考える。
  3. みんなで出した案について「熟議」を重ねる。

となりました。

ここまで来たら、あとは結論を出す、つまり問題への解決策を1つにまとめるだけなのですが…

 

多数決の役割

議論の末に何か1つの結論を出す時、よく用いられる方法が多数決です。

多数決はとにかく簡便で即座に結論が出るので、とても便利です。

 

しかし、元々存在していた意見の対立が、多数決をやったからといってなくなるわけではありません。どうしても少数派の意見が尊重されにくくなります。

また、2016年アメリカ大統領選のように、多数決の仕組みによっては、選ばれた案が多数派の意見ではない場合もあります。*7

 

これらの問題を乗り越えるために「熟議を徹底してみる」というやり方もあります。

もちろん、熟議を重ねたからといって、最終的に選ばれなかった立場の人々が完全に納得できるわけではありません。

ただ、個人的には、「対話によって正しい結論に近づける」という前提に立って、やらないよりは良いと思っています。

 

また、意思決定方法を工夫してみてもいいかもしれません。

この世には多数決以外にも「ボルダルール」や「ダウダールルール」など、様々な意思決定方法があります。

より優れた選択方法を採用することも、より優れた問題解決のために必要でしょう。*8

 

「わがまま」に戻る

以上、だいぶ抽象的になってしまいましたが、事象の「問題」化から、その解決策の決定までの道のりを追ってきました。

ただし、これだけでは終わらないことは自明です。

 

以上のような過程で政策などの施策が行われた場合、それに対して再び「わがまま」を主張する人が出てくるかもしれません。

また、仮にそのような主張が耳に入ってこなくても、施策を行った側には、その施策の効果を把握する責任があると思います。さらに、その結果を受けて修正案も考えなくてはいけません。

ここまで来ると「わがまま」ではなく「世論」のようなものかもしれませんね。

 

「ふつう」のなかに隠れて見えない、ほんとうに多様な人たちがいる。その人たちと、「同じ職業」とか「同じ性別」とか、そういう「同じ」ではつながれないから、経験の語りをもってつながろうとするのが「わがまま」だとするなら、多様な人たちの多様性をそのままに、立場は全然ちがうけれど、でも尊重しようとするのが「おせっかい」なのではないかと考えています。そして、「わがまま」と「おせっかい」、どちらもこの世界のカラフルさを保ったまま、その色彩を鮮やかにする試みです。(『みんなの「わがまま」入門』p.262) 

常に「わがまま」への想像力を働かせながら生きねば、と反省したところで、以上とします。

 

社会問題の社会学 (現代社会学ライブラリー9)

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  • 作者:赤川 学
  • 発売日: 2012/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
社会学的想像力 (ちくま学芸文庫)

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*1:参考
business.nikkei.com

toyokeizai.net

*2:出典

現代日本人の意識構造[第九版] (NHK BOOKS)

現代日本人の意識構造[第九版] (NHK BOOKS)

  • 発売日: 2020/02/25
  • メディア: 単行本
 

*3:出典

残り全部バケーション (集英社文庫)

残り全部バケーション (集英社文庫)

 

*4:出典

*5:

www.mhlw.go.jp

*6:おすすめのゲーム

【PS4】ダンガンロンパ1・2 Reload

【PS4】ダンガンロンパ1・2 Reload

  • 発売日: 2017/05/18
  • メディア: Video Game
 

*7:参考

www.bbc.com

*8:参考